収蔵品のご紹介

西田幾多郎書斎「骨清窟」

西田幾多郎の生涯は財政的にも非常に苦しいものでした。西田家は、もともとは十村(とむら。加賀藩独特の役職で、庄屋に代官所の役割を附したもの)の家柄であり、西田が生まれた頃は非常に裕福だったと言われています。しかし、その後、西田が社会に出るころには、父得登の事業の失敗もあり、財産のほとんどが処分されていました。西田家の没落後、長らく借家住まいをしていた西田が初めて自分の家を持ったのが、52歳(大正10年)、京都帝国大学で教鞭をとっていたときでした。

この家には随所に西田のこだわりを見ることができます。その代表的なものが書斎です。この書斎にはテラスが設けられており、西田を訪ねる人々は、玄関を通ることなく、直接書斎へアプローチできました。西田は、来るものは拒まずといった姿勢でこの書斎に訪問者を受け入れ、議論にふけったと言います。

この書斎は、西田が執筆活動を行い、友と語り合った、まさに「西田哲学」が作られた場でした。

西田はこの書斎に室町時代の禅僧寂室の詩に基づき「骨清窟」と名付けています。

風撹飛泉送冷声
前峰月上竹窓明
老来殊覚山中好
死在巌根骨也清

風は飛泉を撹(みだ)して冷声を送り
前峰月上がりて竹窓明らかなり
老来殊に山中の好きなるを覚ゆ
死して巌根に在れば骨もまた清し

昭和49年、西田邸が取り壊される際、書斎「骨清窟」部分のみ故郷かほく市(旧宇ノ気町)へと移築されました(旧西田記念館横)。その後、平成22年に石川県西田幾多郎記念哲学館敷地内へ、再度、修復移築されております。

移築にあたっては、建物の細部に至るまで忠実に再現され、また、家具や書籍なども実際に西田が使っていた当時のまま残されています。今も変わらぬたたずまいを残す書斎からは、西田の息遣いが聞こえてきます。

平成15年には、国の登録有形文化財に認定されています。

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